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以前テレビで、女優の中越典子さんが
「おおきな木」という絵本を紹介されているのを見ました。
子どもの頃は「ぼく」に感情移入するけれど、
大人になってから「木」の気持ちもよくわかる、
「無償の愛」について描かれた本とのこと。
読んでみたくなったので、探してみたら、
原作は、「ぼくをさがしに」でも有名なシェル・シルヴァスタインの「The Giving Tree」。
日本語訳本は2種類あって、
1976年に発売されたほんだきんいちろうさん訳のものと
2010年に発売された村上春樹さん訳のもの。
レビューを見てみると、どうやら訳が全然違うらしいので、
英語版と、日本語版2冊、読み比べてみました。
ほんださんの訳の方は、どちらかというと客観的に木とぼくを描写していて、
「ぼく」についても、「ちびっこ→そのこ→おとこ」と表現が変わります。
(もちろん、木はずっと「ぼうや」と呼び続けますが)
村上さんの訳はずっと「少年」です。
英語版が「the boy」なので、忠実なのかな、と思います。
さらに、村上さん訳は、木=女性(母)と最初から限定してしているというか、強調している感じ。
「いらっしゃい。ぼうや。わたしにおのぼりなさい。」
ほんださん訳は、もっと幅広い感じかな。友達だし、恋人だし、母親でもある。
「さあ。ぼうや。わたしのみきにおのぼりよ。」
この、村上さん訳が母性を強調しているところに、賛否両論あるようですね。
私が一番気になったのは、
原文の
And the tree was happy... but not really.
というところ。
村上さん訳だと
「それで木はしあわせに・・・なんてなれませんよね。」
まぁ原文に近い感じではあるのかなぁ。
ほんださん訳は
「きは それで うれしかった。。。だけど それは ほんとかな。」
最初に村上さん訳を読んでから、ほんださんの訳を読んだので、
ある意味、とっても衝撃でした。
そうそう、「ほんとかな」って問いかけられる方が、考えさせられるなぁ〜と。
村上さんの訳は、原文にとても忠実であるけれど、
母親であるわたしが読んだら、まぁもう、母親と子どもにしか置き換えられない(^^;
でも母として娘にこれを読ませようとしたら、なんだかこう、恩着せがましくなってしまうんじゃないかと。。。
ほんださんの訳は、より日本語らしい表現がとても多いなと感じます。
でも、この少年(男)の、なんというか切なさというか老いていく感じは、
村上さん訳の方が感じられるようにも思います。
どちらがいい悪いではなくて、両方読んでみるのがオススメですね。
私のような英語勉強中の身だと、英語の文章の意味は分かるけれど、
そこの中にある、日本語で言う行間みたいなものは、やっぱりまだまだ。。。
映画でも、本でも、見比べるのが楽しいです。
いつか原文だけで感情も感じられるようになれたらいいなぁ。
語学の勉強も、テキストばかりではなくて、
本を読んだり音楽を聴いたりニュースを聞いたり、
いろいろやってみたいです。
でもスペイン語についてはそれはまだまだ。。。かな。
引き続き頑張ります。
最後までお読みいただきありがとうございました。
とろん
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